お前が嫌い

極めてパーソナル

【書きながら考える】 材料:『大導寺信輔の半生 -或精神的風景画-』

○僕の頭は数bitしか無いので、文字を打ちながら思考します。下の文章はその足跡です。

○思考の足跡をリアルタイムで残している、にもかかわらずしばしば話が逸脱します。数bitゆえ、です。

○そのくせ頭の良い人間に見られたいがために、例えば、変換しなくてもよい言葉を漢字に変換しがちです。"所謂"、見栄っ張りなのです。

○口調は整えたほうが利口に見えます。が、bit頭には土台無理な話です。

○「です」を「ありんす」に変えちゃうという、言ったそばから口調変わっとるやんけーっ、という、小ボケをかまそうかとも思いましたがやめておきます。

○別に本の内容についてロジカルに解説する、とかそのような性質のものではありません。

 

。。。

 

 

小説を読んでても、出てくる知らないワードを "そういうものだ" とそのまま読み進めてしまうのって本当にもったいなくないですか。

知識も深まりませんよそんなの。物語の解釈も進みません。読んだ気になってるだけ。

たとえば "音楽" を解剖しようったって、理論と耳がなきゃムリ。

でも言葉は、調べりゃわかる。母国語だし。

この作業の対価は時間。だから1行を読むのにもしかすると1時間、知的好奇心の赴くままに潜っていけば数日かかるかもしれない。

世の読書家は年間数百冊読むらしい。でもそういうのって、知的だからできる芸当であって、そうでなけりゃ物語を沿うだけでちっとも物事を吸収しないバカの所業。

流行りのAI、人工知能のほうがよっぽど本から学んでいるはずだ。

僕は読書家ではないけれど、なにかしら本を読むにあたっては後者の態度を取ってると思う。

あらすじは知ってる。でも本を通して知識を新たにしていない。0じゃないけど、本来得られるものを100として5も得てないというかさ。

もちろん本にもよるよ。バカが書いた文章、例えば上の文字列を何時間かけて読んだって...

と言ってもだ。自分の頭で著者の思考の先を行ってもいいし、極端な話をすれば単語1つとっても調べりゃ奥深いもんだしなぁ。得るものはあるのか。

しかし膨大な砂から1粒の金を救うみたいな話じゃないかそんなものは。

たとえば文豪の書き物に目を通してみろよ。信頼のある実用書でもいいよ、金の密度が違うって話だ。しかも砂をかき分けてようやく金を見るのでなく、パッと見ただけでもう、所狭しじゃないか。

代わりに宝石に例えてもいいのかもな、磨けば光る知識の原石...バカのくせに例えるんじゃないよ。

本題に入りたい。入りたいんだけど最後に書きたいことができてしまった。

芥川龍之介 文豪』の検索結果がアニメでいっぱいになるやつどうにかしろぉ。

>これを受けて取った対処法:『芥川龍之介 文豪 -ストレイドッグス』で検索

>検索結果から『ストレイドッグス』が除かれるぞ!

>予想外 『文豪とアルケミスト』とやらが顔を出す

>「DMM.comより配信されているブラウザゲーム」、らしい。

...

「文豪がイケメン化して能力バトルしたら絵になるんじゃないかと、編集と盛り上がったから」生まれた『文豪ストレイドッグス

「本の中の世界を破壊する侵蝕者」に対処すべく文豪を転生させ敵を討伐する『文豪とアルケミスト

どっちも文豪が戦う。いや、それ自体は良いんだ。前者は知っていたしね。観てはいないけど、アニメ化しているから、名前だけ。

問題は後者、というよりも。重複に驚き、というか。

ストレイドッグス』を検索結果から省いてもなお同じようなコンテンツが出てきたから、わぁ、ってね。思っちゃったのね。

本稿の主である『大導寺信輔の半生 -或精神的風景画-』は芥川龍之介の作であるが、両コンテンツにおける扱いを見てみようか。

ストレイドッグス』

好きな物は書畫骨董・茶・無花果。嫌いな物は盆栽・犬・風呂・蚕豆・蜜柑。

であるらしい。そしてどうやら犬・風呂嫌いは本当らしい。ということは他も実際にそうなのか。蚕豆ってそら豆のことですか。読めません。

「無表情で黒い外套を纏う...青年」とある。外套ね...。『歯車』ではしきりに出てきたな。

キャラごとに異能を持っており、芥川龍之介のそれには「羅生門」の名がついている。

『文豪とアルケミスト

キャラクター、文豪ごとに持つ武器が違うようだ。基本は刃、銃、弓、鞭の4種類。

芥川龍之介の持つ武器は...刃、らしい。芥川龍之介に詳しい人に言わせれば納得の刃なのだろうか。銃でも、弓でも、鞭でもない。

どのような基準で選んでいるのだろうか。

一応、芥川龍之介の言う「先生」こと夏目漱石もまた刃を持っているらしい。

久米正雄もまたそうだ。ふぅん、としか思わない。

芥川龍之介のステータスを見てみると「精神」の項目に「不安定」とあった。はい。

...

芥川龍之介 文豪 -ストレイドッグス -アルケミスト』で検索してみると、同じようなコンテンツがまた顔を出す、ということもなかった。我が検索技術の勝利である。

...

 

興味のないものに触れ続けたせいで鳩尾が靄ついてきたため、本筋に回帰する。

回帰というか、ここがスタート地点だから、帰るも何もないんだけど。

 

まず『大導寺信輔の半生 -或精神的風景画-』を読み始めて最初に当たるのは

「大導寺信輔の生まれたのは本所の回向院の近所だった。」というもの。

本所! 回向院! なんだそれは!

まず本所(ほんじょ)とは東京都墨田区の町名だそうだ。或いは旧東京市本所区の範囲を指す地域。

このような書かれ方をするということは時と共に変化していったということだろう。

本所区(ほんじょく)とは、東京府東京市、東京都にかつて存在した区である。現在の墨田区の南部に位置していた。」らしい。

また、本所区の年表を見てみると

○1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制が施行され、東京市東京府が廃止され、東京都を設置。
○1947年(昭和22年)3月15日 - 向島区と合併して墨田区を新設。

とある。本所区は既に存在せず、現在は墨田区内の町のひとつとして本所があるという形だ。また墨田区の南半分を指して本所地域と呼ぶ...のだろうと思われる。

で、『大導寺信輔の半生 -或精神的風景画-』はといえば1925年(大正14年)1月に『中央公論』にて発表された小説である。

となれば、時代を考えると文中における本所とは、東京都制施行前の東京府東京市本所区を指しているということだ。

本所区内にもともと本所町があった可能性も考えたが、現在の本所町は元からそういう名前だったわけではなく『旧町名の「厩橋」を住居表示実施するにあたり、「厩」が常用漢字外の漢字にあたり、別の名称を検討。「本所○○町」と本所を冠称していた町も相次いで町名変更。そのため歴史ある「本所」の地名を絶やさないために町名として、「本所」が採用され現在に至る。』とのことなので、やはり”本所区”を指していると見て良さそうだ。

続いて調べるべきは回向院(えこういん)だろう。こんなもん、読めんわい。

作中の文章と、これまでに調べた事柄から”東京都制施行前の東京府東京市本所区”内にあるものらしい。

あまり深入りする気は無かったが、どうやら「東京都墨田区両国二丁目にある浄土宗の寺院、および、過去にその別院であった東京都荒川区南千住五丁目にある寺院。」という文から再び時間軸について考える必要が出てきた。

いやまて、早とちりをした。別院とやらは荒川区であったか...。

その別院は南千住回向院という名であるらしく、僕が今回目当てとするのは両国回向院と呼ばれるほうだ。

山号は諸宗山。正称は諸宗山無縁寺回向院。本所回向院なんて呼ばれたりもするらしい。

山号ってなんぢゃ。なんのこっちゃいまいちわからんがここでは無視する(なら記載すな)。

無縁寺というのも初めて知った。一応定義までここに残しておくと

「縁者がなかったり、身元不明の人々を葬る寺。」だそうだ。無縁仏なんてのはまぁ聞くけれどもねぇ。

そのような仏さんのための無縁寺ということかとも考えたが、一般に各寺院・霊園において無縁仏とみなされたお墓は撤去され、供養塔や無縁仏のみを集めた無縁墓地に合葬されるともある。回向院に周辺で発生した無縁仏が集まるとか、そういうことなのかしら。そこら辺はいまいちわからない。

「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」という理念から、天災地変や人災による被災者、遊女、水子、刑死者、諸動物など、ありとあらゆる生命が埋葬供養されるとのこと。

なんでも最後には天涯孤独の身として処刑された鼠小僧の墓があるらしい。

更に『回向院の境内には、猫の報恩伝説で知られる「猫塚」(文化十三年・1816)、「唐犬八之塚」(慶応二年・1866)、「オットセイ供養塔」(大正15年)、さらに義太夫協会の「犬猫供養塔」、飼鳥獣商協同組合による「小鳥供養塔」、邦楽器商組合の「犬猫供養塔」など、さまざまな動物の慰霊碑、供養碑があります。』とある。猫塚は「猫の恩返し」という落語の演目と関係する。

オットセイ供養塔がいかにして生まれたかが気になったが、江戸時代の両国というのはいわば江戸最大の盛り場だったそうで、言われてみれば両国国技館の存在などを思い出す。両国橋など、夏には花火が打ち上げられ見物人でごった返していたらしい。

多くの娯楽施設や料理屋などが並ぶ中に見世物小屋も存在しており。

そういった文化の流れか、大正の頃にも回向院の中のスケートリンクにてオットセイが見世物になっていたという。その供養のため建てられたとのこと。

うーん。と、唸ってしまう。生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くという理念を考えると、回向院の中に見世物小屋があった、オットセイが見世物にされていた、という事実に引っかかった。しかし或いは、僕が見世物小屋に対してその総てが劣悪な環境にあると考えているのが間違いか。或いは、そのスケートリンクでの飼育はオットセイにとって必ずしも悪い環境でなく、かつ生命として尊重されていたのか。動物の見世物といえば、人々の前で芸をするという話であれば、今に至っても問題なく存在するっちゃするしな。考えすぎなのかもしれません。

オットセイ供養塔が建てられた時点で愛されていたのに違いはなかろうが、どのような愛されかたであったかによって話が変わる。回向院の理念を信じ、健全に飼育されたものと考えましょうかね。

というか...旧両国国技館のことを言ってるのかな、この「スケートリンク」ってのは。

これは明治42年(1909年)同境内に建設されたとある。またその後を追ってみると、旧国技館大東亜戦争中の米軍の空襲で被災、戦後は進駐軍に接収され 「 メモリアルホール 」 と改称、昭和27年に接収解除後はローラースケートリンクなどになるが、昭和33年に日大が買収して 「 日大講堂 」 となる。 その後、昭和58年に老朽化のために解体された。

スケートリンクができたのは昭和の話。大正の頃に境内のスケートリンクでオットセイがどうのこうのという話が出回ってるのはどういうわけだろう。メモリアルホール 以前にも境内に別のスケートリンクがあったのかな。もうわからない。

いちおう、ここで書いておく。本頁ではネットで物事を調べたりしながら僕が考えていることをそのまま文章にしているだけで、僕自身以外に向けた情報発信をしたいわけでない。ここにある全ての情報に一切の責任を持たない。

ではなぜやってるかと聞かれれば先に書いた通りbit脳の持ち主は思考を文章で残すことなしにまともにものを考えられないわけでしてね。或いは日記かな。ここに投稿する理由は、例えばワードファイルとして残しても容量の無駄使いではないかと。クラウド扱いですね。非公開でいいじゃんって話なんだけど、すると僕が読みづらいっていうね。

 

始まりの1文でここまでたらたら来てしまいました。

ひとまずはここまで。

 

。。。

 

「殊に彼の家のまわりは穴蔵大工だの...」

まず、殊に、ね。

ニュアンスは分かるし、普段ならそのまま進むけども、ここでは定義を調べておきたい。

『他と比べて際立っているさま。とりわけ。特別。』

『なお。その上。加えて。』

ここでは、その前の文からの繋がりを考えれば後者の意味だろうね。美しい町も家もないし 、その上、穴蔵大工や駄菓子屋、古道具屋があるばかりだったと、そんな感じ。

で、穴蔵大工て、何?

穴蔵とは。土蔵も併せて説明されるが、つまるところ倉庫である。避難の際に持ち出せないものを焼失から守るために使用された。

土蔵は高価であるため主に商人が建築し使用したが、地面に穴を掘って設けられる比較敵安価な穴蔵は庶民の間でも使用された。明暦の大火で和泉屋の穴蔵の有用性が知られるようになり、普及の契機となったらしい。

明暦の大火(めいれきのたいか)といえば、回向院が開かれるきっかけとなった江戸の大半を焼いた大火事である。被害が大きいだけに、その後に与える影響もまた大きかったということだなぁ。

普及すればそれを造るための専門職も出てきた。それが穴蔵大工、ということらしい。この穴蔵というもの、手持ちの本の脚注によれば『大きい箱を埋めて地中に造るため、穴蔵大工とはその箱や風呂桶を造る大工を指す』と説明されている。

 

。。。

 

「ー回向院を、駒止め橋を、横網を、割り下水を、榛の木馬場を、お竹倉の大溝を愛した。」

 

まず回向院は済んだ話だな。最後のお竹倉の大溝(おおどぶ)というのに関しては、本文中に既に出た文節だ。墨田区横綱町1丁目あたりの通称=お竹倉の、南京藻が浮かび悪臭を放つ溝(どぶ)。「みぞ」と書いて「どぶ」を指す。一瞬ひるむが、『排水のために設けた「みぞ」などで、汚れた水がとかく淀みがちな小さい流れ』を溝(どぶ)と言う。

駒止め橋、現在では駒留橋と表記されるが、これは既に無くなった橋だそうだ。検索してみればわかるが、出てくるのは駒留橋”跡”ばかりである。

なんでも、「旧両国橋北側の入り堀に架かっていた小さな石の橋」だったそうだ。「藤代町と東両国広小路を結んでいた」そうだが、これらは本作を読み進めるうちに出てくるワードなのだろうか。一応、ここのメモしておく。

本所七不思議というものがあるそうで、この橋もそのうちの1つに絡んでいる。その内容に由来して、別名、片葉掘とも言われる。

現在の両国橋の東側に現在も跡地が存在しており、上に書いたようなことが記された看板が設置されているようだ。ちなみに、駒止橋と検索して出てくる赤い橋は高山市の、つまり岐阜県の橋であって関係ない。

横網」は「横綱」じゃない。両国国技館が頭にあるから混同しそうになるが、横網(よこあみ)である。ちなみに両国国技館の住所は東京都墨田区横網1丁目=お竹倉である。ねぇ、相撲関係者さん、相撲ファンの皆さま、もしかして、「お竹倉」って常用でありましょうか。

Wikipediaの参考文献に日経記事のリンクがあった。『大相撲の町なのに…なぜ「横綱」でなく「横網」? 』というものだ。なんでも、区が横綱への地名変更を打診したことがあったという。60年代半ば、世間話程度のもの、だそうだが。昔から人々は紛らわしく思っている様子である。

続いて「割り下水」。「したみず」じゃぁない。「げすい」である。「わりげすい」だ。掘割(=地面を掘って水を通したところ。「ほりわり」と読む。)にした、「下水道」である。『特に、江戸本所(今の墨田区)にあった掘割およびその近辺。』と説明があるが、特有のものなのだろうか。

割下水は、道路の真ん中を掘り割った(溝よりも大きい)下水路なのだそうだ。なんでも、その土地の性質上、本所は水はけが悪かったらしく、これに対応するものだったそうだ。先に割り下水について調べた際に本所の名が挙げられていたのはこういった理由か。下水とは言うものの、生活用水を流す用途よりも雨水排水路としての機能があったようで、江戸時代の川柳にも「井出よりも蛙の多い割下水」という作品もあったそうな。あぁ、川柳って時代を映すんだな。初めて実感した。曰く、「川柳は江戸庶民風俗資料の宝庫」だそうです。

江戸の下水について【屎尿・下水研究会】が詳しいが、これより先に挙げた川柳に関する説明を引用すれば

【「井出」は京都の井出の玉川といわれた所で、蛙の多いところなのだそうです。井出よりも割下水の方が蛙が多いと言っているのですから、「割下水」の水はそんなに汚れていなかったようです。「割下水」が汚くなったのは明治中期以降、付近に工場が出来てからのことで、それまでは水も綺麗だったし、春には花見客でにぎわった、と書かれている本(『隅田川とその両岸』)もあります。】

だそうで。今回挙げた俳句のほかにも多くを紹介しており、浮世絵からもまた江戸庶民の生活を読み解く上のリンク先は、読むと面白い。

ところで芥川の本書『大導寺信輔の半生 -或精神的風景画-』は本稿で既に述べた通り1925年(大正14年)の小説である。先に引用したとおり『「割下水」が汚くなったのは明治中期以降』であることを考えれば、本書にある割り下水というのは、一般の下水に対するイメージに反することのない有様だったのだろうと思われる。臭そうだ。

続いて『榛(はん)の木馬場』だ。この文節のまま聞いてもGoogle先生はろくな返答をしなかったが、墨田区両国にはかつて榛馬場という武術練習場、馬場があったそうだ。『本所に住む武士の弓馬の稽古のために設けられ、周りを囲む土手に大きな榛(カバノキ科の落葉高木)があったところから、そう呼ばれたようです。』ともある。

僕は『榛の木馬場』について、榛の、木馬場かと思っていた。それでよくわからないことになっていた。「木馬場」と検索しても特にそれらしきサイトも現れなかった...。

『榛の木』『馬場』ということなんだな。気付いてみればなんともアホらしいが、このアホを治すべく始めたのがこの記事を書くということだ。

気張れーッ! ちぇりおーッ!

今回はこれで終わりかな? ご苦労さん。

 

。。。

 

 『彼の小学時代に何度も熱心に読み返した蘆花の「自然と人生」やラボックの翻訳「自然美論」も勿論彼を啓発した。』

 

これはもう、調べるというよりもメモに近いよな。そのうち、これらも読めたらいいね、という。しかし宮沢賢治とか超メジャーどころも教科書以来ろくに読んでいない僕である。格別の引力が生じない限りは読まないだろう。

そういえば森見登美彦の作品でもこういうことをやってみたいな。こういうことというのはつまり、いま、僕がちょうどやっていることそのものだ。

有頂天家族を読んでいると、意外と作中の狸も昔の人々の夢想の中に実在することがある。そのあたりの歴史を調べたならばより一層有頂天家族を面白がれることだろう。

さしあたって思い至る難はやたらとムツカシイ言葉を使う点にある。いちいち調べていくとなればなかなか精神もすり減るというもの。ある程度割り切る必要もあろう。

さて本題。といっても先に述べた通りメモ程度のものになるだろう。

徳冨蘆花の随筆小品集「自然と人生」。1900年刊。内容は小説,評伝,散文詩 87編など種々雑多だが,3部に分けた散文詩中『湘南随筆』が最も知られる。という。

ラボックとは、銀行家ジョン・ラボックのことで相違ないようだ。それ以上はもう、いいです。調べるのがしんどそうです。一応、国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧は可能。

 

『大導寺信輔は殊に人口の文明の中にかすかに息づいている自然を愛した』。ボルヴィックのCMを想起させるような自然に対すれば彼はたちまち不安になるのだろうか。

『30年前の本所は割り下水の柳を、回向院の広場を、お竹倉の雑木林を、-こういう自然の美しさをまだ至るところに残していた。』

大導寺信輔の少年時代、『毎朝父と一緒に彼の家の近所に散歩に行った』のが30年前ということになるのだろう。工場立地の良さから明治時代には徐々に工業地帯化が進んだとされる本所。その中にあって息づく自然をこそ彼は愛した。ということですね。

『或朝焼けの消えかかった朝、父と彼とはいつものように百本杭へ散歩に行った。』

この百本杭とはなにか。曰く、横網町付近の隅田川に挑んだ河岸の俗称、だそうだ。江戸時代に波除けのため杭が何本も打たれていたらしい。位置としては両国橋よりひとつ北にある橋、両国駅浅草橋駅の間に位置している隅田川橋梁近辺だ。川の東側に杭は打たれたようだ。

なんでも、江戸時代の歌舞伎では、多くの作品の重要な場面に「両国百本杭の場」が登場するのだそうだ。観客は「百本杭」という言葉から隅田川を舞台としていることに気付く、それほど人々に知られた場所だったらしい。ただし、『明治時代末期から始められた護岸工事で殆どの杭は抜かれ、百本杭と隅田川がおりなす風情は今では見られなくなりました。』ともある。今となっては百本杭”跡”が残るのみだ。

明治中期までは鯉の釣り場として有名だったとある。釣り好き幸田露伴もよく出かけたと言われています、とも。小説の中でも、特に釣り師の多い場所だったとある。

検索をかければ両国百本杭の写真は閲覧可能だ。風情だとかそんなことを言うが、写真で見る限りなかなか禍々しさがある。杭の必要性、意味を知っていればともかく、そうでなければなかなか恐ろしく不可解な光景に見える。しかし現地に置かれる看板にも「その風景も見事だった」とあるから実際そうなんだろう。たしかに画像検索をすると浮世絵も複数作品出てくる。描きたいと思わせるだけのものはあったのだろう。

今回はこれまで。

 

。。。

 

 第2章に移りまして。しばらくは特に言葉の引っかかりもなくスラスラと読んだ。強いて言うならば、「のみならず」を見た時に、でたァ、と、頭の内で合いの手なんぞ入れてみたりしたくらいのもの。

この時代の作家に多いのか、或いは芥川龍之介の癖か。芥川龍之介に限ってみてもまだ後期、晩年の作品しか読んだことのない僕は、同じ芥川であっても時期によっては『のみならず』を使ってないのかもしれないだとか、初期から晩年にかけてどのタイミングから使われ始めたのかだとか、そんなことを、本文章を読んでいるあなたが思う以上に気にしている。

さて『のみならず』は兎も角として、引っ掛かりがあった単語はこれ。

「Vita sexualis」である。ビタ・セクスアリス。どうも森鴎外が1909年に『ヰタ・セクスアリス』という小説を発表しているらしいが、この題も件の単語から付いたものだそうだ。

ラテン語で『性欲的生活』を意味する、らしい。性欲的生活...。

退屈な日々を精子の雨で濡らした中学時代を指すのだろうか。或いは、同級生の女の子もとい痴女に「おっぱい揉んでみる?」と聞かれたとき、漢、その名も僕はその申し出を丁重に断り、ベッドを涙と精子で濡らした...まぁ、1/4嘘である。別に涙も精子もなかった。ただの誇張表現である。もっともあのとき揉んでいたならば、その場で図らずもちろりと出ていたかもしれない。

揉まなかったところまでが本当だ。そうあるべきだと思ったためだったが、件の痴女ちゃんがクラスメイトの男子中学生複数人に例の申し出をした結果、僕以外はしっかり揉んだらしかった。中には「今度はナマでお願いね」と言った男もいたそうな。ゴム無しという意味でなく、柔肌を直接、ということだ。みんな服の上から、ブラの上から触ったらしい。そう考えると別に、あのとき断った僕もあながち間違いでは、いや、あのシチュエーションで大事だったのは思いがけずクラスメイトのおっぱいを揉めるという、恋人でもないのに揉めるという、その点に特別なものがあったことを考えれば、間違いじゃなかったなんて言えな

 

性に目覚めた男子中学生ばかりフィーチャーされるが、女子も大概だったなぁと思うものだ。

 

。。。

 

       壜  ←  これ読めますか。ぼくは読めません。アホだから。

文中にあれば読めるんですけどね。

『信輔は壜詰めの牛乳の~...』

JIS第2水準漢字だそうです。

 

。。。

 

 そういえば、スパルタ式のスパルタを知らない。知っている人も多そうなものだな。

スパルタとは。『古代ギリシア時代のドーリス人による都市国家』だそうだ。

なんかもうwiki読めば済む話だな(笑)

古代ギリシア世界で最強の重装歩兵軍を誇り、ペルシア戦争ではギリシア軍の主力であった。~特に軍事的教育制度は「スパルタ教育」として知られる。』とのことだ。

スパルタという単語に現在の一般のイメージが付いた所以を少し覗きたい。

まず、都市国家スパルタにおいて『親は自分の子供を自由に育てる権利を持っていなかった。「子供は都市国家スパルタのもの」とされ、生まれた子供はすぐに長老の元に連れて行かれた。そこで「健康でしっかりした子」と判定されれば、育てる事が許される。病身でひ弱な子供は、ターユゲトンのもとにあるアポテタイの淵に投げ捨てられた。』

この病身でひ弱というのはどの程度の基準なのかと思ったら、『未熟児や形態などに異常が確認され健康体と認められなかった場合』処分という説明があった。

のみならず、産湯にワインを使用し赤子が痙攣を起こせば処分なのだそうだ。

それで痙攣なんて起こるものなのか...。

『7歳になった子供たちは軍隊の駐屯地に集められ、~頭は丸刈りにされ、下着姿に裸足で訓練を行った。』

『12歳になると、全裸での生活をはじめ、沐浴も禁止される。』

そのほか食事の量とか盗みがどうのとか、なかなか大変。13歳で成人を迎えると短剣を一本だけ持って町を追い出され、1年間は町に戻ってはいけなかったとも。この期間の食料は、自身で奴隷の町から奪うことで生き抜かなければならないらしい。

なお、国内の身分としては高かったらしい。国内の奴隷の話なんぞ調べてみたならば、きっとおぞましい。

 

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『それは羅馬(ローマ)の建国者ロミュルスに乳を与えたものは狼であるという一節だった。』

ローマの建国神話に登場する双子の兄弟、ロームルスとレムス。ローマの建設者とされる。本文中にロームルスの名前のみが挙がっているのは、兄弟のうちのどちらが建設者になるかを鳥占いで争った結果、兄のロームスに軍配が上がったため。

そのあと弟は兄に殺されたり、兄は40年間統治したのち雲の中に消えて行ったりする。

物語をちゃんと読めばわかるんだろうけれども、双子である必要性はあらすじだけではわからない。これだけだったら弟が必要ない。無駄に殺されて仕舞い、という...。

 

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