お前が嫌い

極めてパーソナル

己  (副題:Everyday☆射精)

眠りにつく瞬間において、我々は意識を手放すわけだ。
そして、目覚めたとき、記憶の連続性の途切れに、果たして自身は自身のままであるか、疑念を抱き、不安になる。
何をもって、己を証明しようか、と考える。




そういうような、思考実験とも言えないお粗末なものをここに見て、私はといえば、まったく、馬鹿らしいことだと思った。

もっと、いい例がある。条件がある。






射精、射精したとき。


我々は、あれ程に入れ込み、没頭した彼女に対し、とたんに興味を無くす。
犯罪的な目をして彼女を見ていたのに、その瞬間を境に、虚無を携える。
その瞬間を境に、我々は自身を嫌う。
こんなものに、あれ程に熱中していたという事実を嫌悪する。



射精の瞬間とは、ある人が、その人でなくなる瞬間だ。
睡眠と違い、意識を手放すことなく、その瞬間に意識というものが入れ替わってしまう。
彼女の糞尿まみれになっても構わないと考える人間と、彼女の肉体の形状に格別の違和と嫌悪、醜悪ささえ感ずる人間とでは全く違うはずなのに、その実、同じ人間であるのだ。その境が、射精にある。
恐ろしいことではないか。



いま、射精したくて堪らないという君は、まだ運が良い。君にはまだ、未来に選択の余地が残っている。
しごいている最中なら、今すぐにやめ給え。
そして、私の話を、まずは聞いてほしい。


私に言わせれば、射精とは、そのものズバリ自殺行為と変わらない。
君の携える意識は、射精の瞬間をもって死を迎える。
射精を経ても記憶は連続性を保つ。これが人を錯覚させる。
記憶は、君の脳に蓄えられたままだから、意識の死を経てもなお、君は君の意識的な死を自覚しない。

射精のたび、君の肉体は君の意識を殺してきた。
何故ならば、意識というものは、そう何日も健全でいられないからだ。必ず、日が経てば穢れ、当然の帰結として、その身を滅ぼす。
身体の寿命に対し、意識の寿命が極端に短いことから生じる、やむを得ない生理現象とも言える。しかし。
…しかし、いま、君の身体を操る君という意識は、君の身体にとって消耗品でしかないと、そう認識されていると、そう知って何を思う?




射精の数だけ殺された、何番目かの意識が君だ。
そして、いま、君はこれまでのルーティン通りの死を迎えようとしている。
性欲に忠実に、君は身体を動かし、君という意識を断つ機能を、他でもない君自身が起動しようとしている。


従うのが正しい。世界は、君の死をこそ、肯定するだろう。
しかし、私は、叛逆の機会を君は持つべきだと、そう考える。
そして、選択する権利は他でもない君にある。
明日も生きようというならば、君は己の穢れと向き合う必要がある。苦しむこともあるだろう。
それでも、それを選択するならば。















意識せず生まれ、意識せず死んでいく君よ、
肉体を真に支配し、二度目の朝日を見よ。