お前が嫌い

極めてパーソナル

”聲の形” 感想

繰り返し2回観た。
山田尚子監督作品なんで、2周目は演出に注視しつつ。
あと何回か観たいところ。

西宮の心情は視聴者含め他人には伝わりにくい。
しかし、石田と同様、彼女はとにかく自己否定が過ぎるのだという事を念頭に置いて本作を観ると、各場面で新たに読み取れることもあろうと思う。
個人的に顕著だったのが、石田が一緒に遊園地で遊んだ人それぞれに”ヒドいこと”を言った結果、みんながその場を去ったあとの西宮の表情とその気持ちに対する理解。1周目ではあんまり理解できてなかったなぁと思った。
最初、あの西宮の表情が軽蔑寄りのものなのかなと思ってたんだよねー…。
そりゃ違うわな。
石田は全部自分が悪いと言うんだけど、このとき西宮もまた、この状況になったのは自分のせいだと思ってしまうんだね。
なぜなら! 西宮は石田と一緒にいるだけで、過去の出来事を知ってる人たちから「加害者」と「被害者」として扱われてしまうから!
いや、この表現だと実は足りない。
後に自殺を測ることを思えば、例のシーンでの経験を通して西宮は
「私が存在する限り石田くんは永遠に加害者、罪人なんだ」とまで考えてる。
遊園地で遊んだ、仲間たち。その人間関係から、
西宮自身をそもそも無かったことにしてしまえば丸く収まるように思えてしまったんだね。
そういえば植野にもそんなセリフあったなぁ…。
西宮さんが転校してこなければ…っていうね。
もちろん自殺では「そもそも無かったこと」にはならない。当然解決なんかしないんだけど、とにかく西宮は消えてしまいたかったんだろう。

石田も西宮も基本的に、他人を責めない、というか責められなくなるくらい自分が嫌いで、自分のせいにする。

※【あの場面、西宮にはみんなの口論が聴こえてないんだよね。橋の上での会話が始まった直後くらいの遠い場所からのカットで、西宮は結絃に、手話(=指を降っている)で状況の説明をお願いしてるよね。結絃は目を逸らす。】


他の場面の話。
今作の最後のほう。
植野の西宮に対する”バカ”という手話が”ハカ”になってしまっているというのは有名な話だろうけども、これを聞いて、確かに西宮の仕草はその間違いを教えようとしてるな〜と2周目で気付いた。
1周目なんか分からなかったけど、言われてみればそうだ。
西宮が伝えようとしている事を、私はキチンと受け止められてなかったわけよ。
これが作品のテーマであるコミュニケーションの難しさというものだろうと思われた。
この作品において西宮の心情や言いたい事を理解するのは難しく、しかし、だからこそリアルだ、というのは受け売りだけども、確かに。

植野について。
まぁ別に嫌いだなぁと思ったなら嫌いでもいいけど、この作品において、それだけでは済まない重要人物だね。って思うんだけどうまく書けないなぁ。
例えば、観覧車の中での会話。
西宮が、『自分の事が嫌い』と言って、それで全て自己完結してしまって、植野の言いたい事が、耳の聞こえる聞こえないという問題でなく、伝わらない。
今作品において、重要なシーンじゃないかと思うんだよな。
そこに至るまでに西宮の持つ障害はおおいに関係してるだろうけど、ここ観覧車内ですれ違ってしまっている理由は彼女の持つ障害そのものでない。
ここにあるのはもっと人間として本質的な部分の問題なんだろう。

あと、植野って石田に好意持ってる?
それは今も続いてる?
微妙なところだ。
石田の自転車の後ろに突然乗ってきた植野。
大きい道路を挟んで反対側に西宮を見つけて、
その後の彼女の一連の行い。
どう見たって嫌な奴だけど、山田尚子監督の演出を手掛かりにその心情を読み取る必要があろうと思う。ここらへんは、3周目、4周目だなぁ。
個人的に、”たまこまーけっと”の、みどちゃんを思い出させるキャラだなと思う。声優が同じだったりするけども。
追記:この記事の最後に載せているインタビューを読んだんだけども、やはり好きなんだね。そう思うとやはり切ない人だよなぁ。まるでみどちゃんの様だという感想は、外れてないな。
植野の想いが通じる事はもう無いんだろうな。
西宮さんとは今後、良き友になれるのかもしれない。
かつての石田と結絃の関係と、西宮と植野の関係は似ている、というのはどこかのブログで読んだことである。

作中で嫌いになるなら川井さんでねえの?
と、思いもした。
しかし、彼女の態度こそ極一般的なものであるわけだ。
きっと小学生石田の言う通り、彼女も陰で悪口みたいな事を言っていたんだろう。でも川井さんの『私はそんなこと言ってない』も本当なんだろう。
イジメを見ても注意はしないし直接関わらない。
表面上優しい。
それでも、無自覚の精神的暴力をふるい、そして差別している。私だって、正直な話、西宮の第一声にギョッとした。
その時感じた異物感こそ、イジメの種であるのだろうし。


2周目が終わった時点で残った疑問は、西宮が自殺を決めたのはどのタイミングだったろうということだ。見逃してしまっているようである。
西宮母の誕生日以前のどこか?
花火大会での別れのときの西宮の手話が、『ありがとう』だったのが印象的だ。
追記:ばあちゃんが死ぬ前のシーンで、結絃は夢を見るよね。寝てるばあちゃんに引っ付いてる結絃が見た夢の中で、小学生時代?の西宮は苦しそうな顔で、結絃に対して何か手話をする。あれは、『死にたい』と言ってるんだね。気付いてみると、確かに劇中でこの手話に関して説明はあるんだね。具体的には、西宮が自殺を測ったシーンよりも後、結絃が部屋の写真を剥がしているシーン。
自殺を決意したタイミングを直接示すわけではないけど、この夢は西宮の心情を示唆してはいるよね。
西宮はこう思ったんだ。劇中でも西宮が言ってるとおりだけど、自分と居ることで石田は不幸になると。自分が石田と居ることで、石田は彼の周りの人間から拒絶されてしまうのだと。
西宮が見える範囲にいると、石田は、加害者として扱われてしまうからね。
そういう意味で、西宮は自身がいなくなれば、と考えてしまう。
西宮は、石田に連れられてデートしていたとき、どういう気持ちだったろう。
そういう事を考えながら本編を観ていると、やはり、花火大会の夜、病院での出来事、それぞれのシーンが、よりこちら側の心にくる。

蛇足ではあるけれども、これもまた強く印象に残っているので書いておく。
結絃は可愛いかったね最高に。
初めて制服姿を見たとき、いや、その場面での事情を考えれば、少し不謹慎ではあるんだけども、いやぁ、
あぁあぁあぁ〜〜〜〜〜〜って、なったんだ。
追記:西宮の妹だと発覚する直前くらいのシーン、石田が結絃に西宮の耳の件で拒絶されたとき、いつも人の顔にバツつけるのと同じように傘で結絃の顔が見えないように遮ったでしょ。
結絃がこの後、石田の言葉を受けて結絃のほうから傘を持ち上げて視線を合わせるわけだ。この一連のシーンは物語上においても重要なシーンだろうけど、それ以上に、持ち上げてこちらを覗き込む結絃の可愛さったらないでしょ。なかろうもん。

追記:バッハの練習曲インベンションが、映画最後の文化祭に入るシーンまでの各場面で少しずつ弾かれているらしい。"練習曲"であることがキモ。
インベンションもう少し聴き込んでから観ると、もう少しここらへんが体感できるかもな。

メモ:『聲の形』音楽・牛尾憲輔インタビュー
http://a.excite.co.jp/News/bit/20161008/E1475063249559.html

BGMの曲が特徴的な映画だったけども、作品のコンセプトに沿った作りなんだなぁ
メモ:牛尾憲輔インタビュー 山田尚子監督とのセッションが形づくる音楽
https://www.google.co.jp/amp/s/s.animeanime.jp/article/2016/09/16/30521_2.amp.html